制作あれこれ

松川佳代の絵日記。制作、講座、絵について思ったこと、なんでも。
主に別サイトにした制作・講座風景の更新のお知らせです。
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エコール・ド・パリ
エコール・ド・パリというのはたしか「パリの良き時代」的な意味だったと思いますが、個性的な画家の時代です。
たまたま、今週は別の場所でデュフィとローランサン、しかも若い頃の絵を観ました。
エコールドパリとは違いますが、ハーグ派展ではモンドリアンの風景画も観ました。

さらにご丁寧に「ローランサン展、女の一生」というタイトルだったこともあり(笑)
なんとなく身につまされる思いのする一週間だったような気がします。


色んなきっかけで、自分は今この位置でこのやり方でいいのかとか
振り返ることがあります。

たぶん本をつくる過程や、新たに人と親しくなる過程とかで、
どうしても、いつから描いてたのとか大学で何してのとかいう話になるので、思い出したせいもあるのでしょう。


私はただ何となく絵の好きなこどもで、
何となく絵なら向いてるんじゃないか というよりは
絵しか向いてないんじゃないか
みたいな気持ちで、高校に入ってから美大を目指していました。

今でこそ色んな名画が好きですが、当時は絵画の知識も皆無に等しいものでした。
そして予備校に行って、当然のように石膏デッサンをすることから、絵の勉強は始まりました。


(↑たぶん最初にやった真っ黒ブルータス)


石膏や牛骨やモデルさんや静物、たまに苦手な構成課題(←想像で描け、ってやつ)はありましたが、
絵を勉強する段階では、まず「視て描くこと」を学びました。

その段階は、多くの人にとっては退屈な期間のようです。
描きたい絵が描けないから。

でも私には、楽しかったのです。
「描きたい絵」が特に無かったから。
目の前にあるものを描き写すことが、ただ単純に楽しかったのです。


受験を目前にした頃から、先生に言われることが厳しくなります。
「そのままではダメ」「個性を」「お前しか描けないもの」

みんな、自分の「型」を探し始めます。
「お前はこれで行け」と先生に「型」を作られることもあります。
それが美大受験でした。



眼のチカチカするわけのわからない色調を選んで描くことや



デッサンでは空間によくわからない「調子」(っぽいもの)を入れる


それを描き続けることが、私が美大に入るためのミッションでした。

なぜ?どうしてそのまま描いてはいけないの?



絵を習い始めの私は、「そのまま描くこと」が何よりも楽しくて、
喘息の発作を起こしても階段の踊り場で立ち止まりながらもモデルデッサンに行ったものでした。


でも、受験を目前にするともう何も考えられず




ただ先生に言われたミッションをこなすだけの毎日が続きました。





結果、私は奇跡的に現役で美大に入りました。
たぶん、気持ち悪い油彩よりも鉛筆の人物デッサンが点を稼いだのではと思いますが。

油画の95%が浪人してもう1年、2年、3年と予備校で鍛錬を繰り返しているのに
わけのわからない下手くそのうちに美大の世界へと迷い込んでしまいました。


それが良かったのか悪かったのか、でも経済的なことを考えればそれが最善だったのだから、
そして私の実力ではあの方法で描くことしか狭き門を運よく通り抜ける術は無かったのだから、
団体の中で目を引くことの大人の世界の決まりごとを高校生では理解できなかったのだから、

問答無用で先生に叩き込まれたあの方式は、私に必要だったのだと思います。




私は、大学に入ってからやっと、見たものをそのまま描くことを始めました。
下手なりに、楽しかったと思います。

でも周りが次第に自由に自分の「型」を見つけていく中で、
私はそのままでした。
大学に入っても、またもや先生に「君はそろそろ「型」を見つけたらどうだ」と言われてしまいました。


ワタシ ノ カタ ッテ ナンデスカ?



と頭が崩壊して顔しか描けなかった目が半分病んでる19才の自画像。


と、今週美術館で観たローランサン21才?の自画像↓



が、私の中ではダブって見えたわけです。勝手に。



たいへん長い前置きですが、ローランサンも、デュフィも、モンドリアンも、
今週観たわけじゃないけどモディリアーニやルオーやマティスもカンディンスキーも、
「普通に」描いていた時期があって。

キュビズムや、フォービズムや、目くるめく時代の絵画に、
触発されていたのか
翻弄されていたのか
は画家本人にしかわかりませんが、

自分の絵を探そうと模索する姿があって。

勝手に、学生時代のあの焦燥感のような空気と重なったのです。

ただ決定的に違うのは、彼等の若い頃の作品は、今も確実に人の心をつかんでいるということ。


ラウル・デュフィ「マルティーグ」1903年(26才)


ピエト・モンドリアン 「夕暮れの風車」1917年(45才)

この絵が描けて、どうして変わっていくのだろう。
どうして変わりたいと思ったのだろう。
その先に何が見えていたんだろう。

デュフィ展の最後に、デュフィが亡くなった日にイーゼルに掛けてあったという「麦打ち」という作品があって。
とても神々しく、美しい作品でした。
ここまで、画業50年以上。

私は「影」とか「奥行」とか「立体感」とか、つまらないことばかり言っているのでは。
本当はそんなこと必要ないのでは。


そんな作品と、ハーグ派の光の美しい具象画と、さらには大好きなグランマ・モーゼスを一日に観て、
混乱している私に、ある方から
メールが入りました。



「最後まで絵を描き続けたひとが画家であると思います」


あぁそうか。そうなんだ。
ひとり美術館で鼻をかみました。
今日は忘れられない日になりましたが、忘れないようにここに書いておこうと思いました。

そしてもう解体しようかと思っていた卒業制作も、戒めのためにまだかけておこうか。





今日ほど色んな人に救われていると感謝したことはない気がしました。


| Kayo | つれづれ | 00:39 | comments(2) |
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