制作あれこれ

松川佳代の絵日記。制作、講座、絵について思ったこと、なんでも。
主に別サイトにした制作・講座風景の更新のお知らせです。
水彩とパステル

個展が終わって半月経ち、日常が戻ってきました。

期間中たくさんの方とお話しさせていただいたこと、

それまで考えていたこと、

ぽちぽちと記してみようかなと思います。

 

(個展中、だらだらと感情的な長文を書いて保存しておいたのですが、読むに堪えないので出さなくてよかった。

 無駄な文章を垂れ流さないにしよう。と思ったのがツイッターを止めた理由のひとつです)

 

 

まず、水彩画の影響について。

 

パピエ・ブランという人物画研究会を始めて5年。

人物画を描く時間は、20分ポーズという短い時間の中で仕上げるため、

パステルよりも着彩が速い水彩画を手探りでやっていました。

 

 

大胆に、反射神経で、水の力に任せて偶然性を生かすような描きかたに、

色彩を明度彩度まで繊細にコントロールするパステルとは正反対の魅力を感じていました。

 

それまで私はパステルを擦り込んで微妙な混色を調整して調整してつくるタイプで、

空の色はもともとの紙の色なんですかと聞かれるような描き方でした。

 

 

2012年の作品

 

 

2016年頃から水彩を本格的にやることで、

色の作り方、重ね方、光の表現など、パステルと違うことに戸惑いもしました。

例えば、水彩では最も明るい場所は紙の白で、明るさを塗り残し、陰を描いていく画材です。

パステルと油彩は濃い下地に白を重ねられるので、陰から光を起こしていく画材です。

描く手順としては真逆になるので、慣れるまでなかなか難しいこともありました。

 

2016年秋の作品

 

その感覚で、紙の白を生かして、水彩のように純色に近い色を重ねて色を作り、パステル画を描いたら、

今までにない軽やかさを手に入れたような気がしました。

 

私のパステルは時々重いと感じていたので、これが突破口になると思っていたのですが。

 

2017年春の作品

 

 

柔らかだった色の調和が崩れていくのをうすうす感じていました。

でも、混色の感覚というのは不思議なもので、その時はそういう色しか選べなくなっているのです。

 

2017年秋の作品

 

 

陰と光は強調されるものの、色の鈍さまでコントロールする繊細さが崩れていきました。

「光のある絵」にはなるものの、空気感が出なくなりました。

さらに版画を始めたことで、明暗のコントラストを意識し過ぎたのが昨年でした。

 

制作内容も、制作活動上のことも(おまけに生活も)上手くいかないことが続きましたが、

2017年の秋に、パステル画の大規模な展覧会がありました。

 

http://mmat.jp/exhibition/archives/ex171014

 

西洋のパステル画は、色んな場面で観ることができますが、

日本人の描いたパステル画は大変珍しいので、琴線に触れるところがあったのかも知れません。

 

大胆な色使いの絵の横に、お世話になっているゴンドラパステルさんの創業に関わったというパステル画家・矢崎千代二の言葉がありました。

 

 

「細かい仕事をしてはいけない。」

 

 

 

もやもやしていた頭を吹き抜けました。

たまに描いていた、大きな色構成で画面を捉える絵。

自分では気に入っていても、丁寧で細かな描写は無く、あまり自信の無かった絵。

 

 

それでいいのかも知れない。

私の絵に、最も大事なのは、色彩。

 

それさえ秩序を保っていれば、細部は問題でないのかも知れない。

 

 

細部は問題ではない。

 

 

 

…ということを認識したら、おかしなことに、逆に再び細密になってきました。

大事な部分が見えてきて、その大きな組立て(明暗の調子、色彩)さえ崩さないようにすれば、

細かく描いても重たくならなくなったのです。

 

 

 

 

また、水彩でもパステルでやっているような混色を試しているうちに、

 

 

面白いものができてきたような気がしています。

 

 

水彩画の必然、についてはまた今度。

 

| Kayo | 制作 | 01:52 | comments(0) |
終わりかけの花

今日描いた絵をいつものようにスマホで撮ろうとして、設定を間違えてピンボケに

 

 

かえって、出したい色が出せたのを確認できました。
私は、遠くから見て、ぼんやり絵を見た時に 良いと感じる絵を描きたいと思っています。




そのためには、公園のギャラリーのような広い会場が一番合っているのかも。

高級な画廊ではなくて。

 

制作を続けるためにできること、諦めること、譲らないこと、

今年は自分の中でだいぶ整理できたような気がしています。

一番大切なことは、描きたい絵を描くこと。

 

それを話す前に、友人は今年の絵はとても自由な開放的な感じと言ってくれました。

絵から伝わったことが、とても嬉しかったのです。

 

絵にはその時の自分が映されます。

よく見せようとか、華やかさとか綺麗さとか明るさとかは置いておいて。

今は自由に描こうという気持ちです。

 

 

花の終わりかけの空気。

 

思っていることをまとめようとしても、上手く言葉にはなりません。

そのために私には絵があるんだと思うこの頃です。



 


今年は例年より半月も早くポピーが刈られてしまいました。
花も季節も、待ってはくれません。

 

 

| Kayo | 制作 | 19:44 | comments(0) |
久々の公園
足の怪我から2週間弱。
ようやく包帯が取れて、絆創膏だけになりました。

まだ痛みはありますが、自転車には乗れそう…?
と思って、夕方行ってきました。



ああ。やっぱり。

先週の今日がピークだったし、大雨もあったのでそんなもんかな…。
(でもまだ折れてはいないので復活するかも)

今日は、別に向日葵でなくてもいいんです。
曇りで暗くてもいいんです。
ただ、描くことのリハビリをしたかっただけなので。

7月の最初に描いて以来、3週間ぶりのパステル風景。

講座でも触っているのでパステル自体は久しぶりではないのですが、風景スケッチ用の400色箱は触っていなかったので、ちょっとあの色どこだっけ状態になりました。



↑頻繁に使っていると、各色のちび具合で大体覚えています



昨日モデルさんを描きながら、やっぱり風景を描くこととモデルを描くことは似ている、と思いました。

 

その時にしかないもの。

私は私の中に蓄積したものや創造したもの、それらを組み立てて構築して大作を創るような、一般的なアーティストのようなことはあまりできません。

ただ、今眼の前で起こっていることを捉えようとする時の感覚は、私にとても合っているのだと思います。



以前の個展で、私の絵を初めて観た方から、「きみは狩人だね」と言われました。

私自身、雲を描くときは「描けた」というより「採れた」という感じなので、妙にしっくりきたのを覚えています。



向日葵は下を向いていましたが、雲が穏やかで、風が吹いていて、静かな夕暮れでした。
(池のウシガエルがズモズモ言ってちょっと怖かった)




やっぱりパステルで風景を描くことは私の基本だな。


と、そんなことを考えて、そういえば今月で10年だった、と思い出しました。



↑10年前のパステルペンシル画

10年描いても、まだこんなところ。
怪我の功名、雨降って地固まった10周年。





| Kayo | 制作 | 23:46 | comments(0) |
初めての銅版画(5)刷り


腐蝕させ、グランドを落として磨き、
これから仮刷りです。

仮というのは、やはり刷ってみないことには、完成のイメージが掴めないためです。



インクを乗せます。このインクけっこうお高いです。



ローラーで伸ばして、



余分なインクをヘラで取り除きます。



寒冷紗でインクを拭き取ります。
寒冷紗って不思議な名前、と思ったら農業とかお料理とか様々な用途に使われるものなんですね。



さらに寒冷紗を中に詰めた人絹で拭き取ります。
じんけん…人工の絹、つまりレーヨンとかポリエステルとかなんですね。ちょっと不思議な略称…。

この拭き取り加減で、仕上がりが左右されます。
つまり、版画は同じものがたくさん刷れると言っても、
シャチハタのハンコのように次々刷れる訳もなく、
1回1回インクを丁寧に乗せ丁寧に拭き取り丁寧にプレスする必要があるのです。

わー。たいへん…




プレートマークというパンの耳のような部分も拭きます。

そしていよいよ…!






第1刷り完成です。




わー何描いてあるか全然分からない。
ここから、どこを濃くし、どこを削り直すかを考え、

グランド作り→描画→腐蝕→刷り

の工程を延々と繰り返します。



工程の大変さから思うと、初めての仕上がりを見たときに
「あれだけやって、こんなもんか…」
とガッカリした思いはあります。

ハッキリ言って、版画はコスパが悪いということは分かりました。
何十枚も同じ絵が売れる人は別として。

ただ、鉛筆よりも相当に鋭い線を延々積み重ねて画面を創り上げた時の達成感が、
きっとあるのだと思います。
(序の口の私にはまだありませんが!)


そして、紙に刷られたものはやはり得も言われぬあたたかい凹凸があります。

デジタル複製画、デジタル版画と呼ばれる
高機能プリントが発展する現代において、
減ってはいても無くならない銅版画は、
やはりデジタルと本物を見分ける目が
人にはあるからなのだろうと思います。


様々な面で、私の制作に有用になりそうです。



版画。懐かしい校舎に何だか合います。

まだまだ第1ステート。
頑張ろう。




| Kayo | 制作 | 23:56 | comments(0) |
初めての銅版画(4)描画

ようやく、描画作業です。



既に鉛筆で1回描いた気分ですが、それをニードルで描く工程を経て銅版画です。
ここから。



腐食の時間差を利用して濃淡ができるということなので、最も濃い部分から。



一番濃い部分…そんなに多めじゃないのかな…全く想像つかないので、とりあえず、手探り。



腐食液の出番です。
これでエッチングらしくなってきました。

銅版画には、直接銅板を削る技法(エングレービング、ドライポイント、メゾチント等)
と、腐食作用によるもの(エッチング、アクアチント等)があります。

グランドという防蝕剤を一面に塗り、
それをニードルで引掻き、銅を露出させた部分だけが
腐蝕液によって削られ、溝になる。
その溝にインクを詰めて、転写する。
それがエッチングです。
美術館によくあります。なるほど。

直接彫るタイプだと握力が要り、柔らかい線も難しいですが、エッチングは鉛筆程では無いにしろ、カリカリと「描く」ようにできる、それが利点です。



数分腐蝕液に晒します。
うっかりスマホを落として角を一瞬浸けてしまいました。
絶対ダメなやつ(汗)
防水でしたし、少しだったのですぐ洗ってセーフでしたが、昔だったら硝酸だったりしたのでアウトとのこと。
うわー。



腐蝕液から上げて洗っても、鉛筆の線は消えません。

さらに描き進めます。



ここで、難儀する実感となったのが、グランドが黒く、削った所(銅)の方が明るい!ということ。

エッチングは描いた線が黒くなるから分かりやすい、と聞いていましたが
作業中は明暗が反転してしまうのです。
これは…!
明暗の調子に割りとこだわる派の私には…
やりづらい!!

これってグランドの上に白い何か塗って描いたらダメなのかなー?
白いグランド無いのかな?
慣れてから考えよう。



段階的に描き進めて、腐蝕すること3回。




そして、グランドを落とし、磨きます。

確かに腐蝕され削られている!
おお〜ちょっと感動。

そしていよいよプレス。


初めての銅版画(5)刷り

| Kayo | 制作 | 23:46 | comments(0) |
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